由緒

 法輪山正明寺は聖徳太子の創建と伝えられており、歴史ある黄檗宗の禅寺です。
 昔は比叡山延暦寺系の地方大寺として栄えていましたが、戦国時代の戦火を受けて消失してしまいました。その後、江戸時代に再興されて以降は、永源寺の高僧一絲文守大和尚の尽力によって後水尾天皇の勅建寺となり、黄檗禅の中本山としての寺格を備え、数多くの名僧を輩出しました。


 正明寺の本堂は、後水尾天皇から、当時の京都御所内に建立されていた清涼殿を下賜され移築されたもので、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の流れは実に美しく、随所に桃山建築の枠を凝らした跡が見られる建築の第一級品といわれ、国の重要文化財に指定されています。
 また、ご本尊の千手観音立像および脇侍の毘沙門天と不動明王は鎌倉時代の逸品で、共に国の重要文化財に指定されており、また禅堂の主尊である金剛界の大日如来像も、本尊と同時期である鎌倉時代の名品であり、県の文化財に指定されています。
 戦国時代の戦火により焼きつくされ、それ以前のことを探る史料は残念ながら現在ほとんど残されていません。しかし、他のお寺や神社の記録により日野谷の中心となる寺院であったことが知られています。


〈重文〉木造千手観音及び脇侍不動明王 毘沙門天像 本堂一棟

正明寺本堂(国指定重文)
木造千手観音および脇侍不動明王像と毘沙門天像(国指定重文)
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